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【終了】令和7年度 特別歴史講演会「加茂町出身の植物学者・早田文蔵の生涯とその仕事」を開催しました!

【終了】特別歴史講演会を開催しました!​​​​​​

令和7年8月16日(土曜日)に特別歴史講演会「加茂町出身の植物学者・早田文蔵の生涯とその仕事」を開催いたしました。

参加者数:49名(定員100名)

令和7年7月30日より開催されている「加茂が生んだ植物学者・早田文蔵展」の関連事業として、特別歴史講演会を開催しました。

当日は講師の広島大学研究員 中尾暁先生によるリモートでのご講演でしたが、多くの方がお越しくださり加茂の偉人である早田文蔵のお話に聞き入っておりました。

ご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。

 

アンケートで寄せられたご質問と回答

以下は当日アンケートで出されたご質問と、講師である中尾暁先生からのご回答になります。

 

【質問(1)-a,b】a,加茂市・新潟県での調査はなかったのだろうか。b,新潟県内(加茂や佐渡)の採取旅行など植物研究はしていますか。

【回答】早田は植物学者として特別に新潟県を研究対象としたわけではありませんでしたが、上京する前から地元で植物採集をしていました。たとえば、1891年に加茂町皆川で採集したジャゴケの標本は、現存している早田作成の標本のなかで最初のものではないかとみられています。また、1894年に加茂町青海神社の社地で採集したCalobryum mnioides(かろぶりごけ、まるばこまちごけ、コマチゴケ)については、のちに振り返って「斯ノ如キモノハ余ガソレマデノ經驗ニヨレバ未ダ甞テ見シコトナキハ勿論、想像スルダモ能ハザリシモノナリシ。此ノ苔類ハ當時ノ中學時代ニ於ケル余ガ愛好心ヲ刺激シ、苔類ニ對スル愛情ヲ極度ニ深カラシメタリ」(下記文献(1)183頁)と記しており、植物学の道に進む上で重要なきっかけとなっていたのかもしれません。どちらの標本も、東京大学総合研究博物館で現在開催中の特別展示「FORMOSA-異端の植物学者 早田文藏」(https://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2025formosa.html)で展示されています。
【参考文献】
(1) 早田文藏「日本産苔類ノ最モ著シキ種類三種ニツキテ」『植物学雑誌』42巻495号(1928年)181–190頁。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/42/495/42_495_178/_article/-char/ja
(2) 早田文藏「再ビ日本産苔類ノ數種ニ就テ述ブ」『植物研究雑誌』6巻9号(1930年)271–276頁。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjapbot/6/9/6_6_9_834/_article/-char/ja

 

【質問(2)】新種の発見は、その後どんなことに活かされているのか。
【回答】一般論としていえば、植物の地理的分布や生態系の理解、進化の歴史の解明等に貢献しているといえます。また、その新種を用いた遺伝学や細胞学、生理学や生化学などの実験研究が可能になります。医薬品や農業技術の開発、生態系保全などの役に立つこともあります。

 

【質問(3)】早田の日本植物分類への貢献はどのようなものか、国内で発見した植物はないのか。
【回答】内地で発見した植物もあります。たとえば、初期に執筆したトウダイグサ科に関する論文では、本州産の2種を新種として発表しています。また、台湾で高地の植物を研究していたこともあってか、日本では富士山の植生研究に力を入れており、『富士植物帯論』(丸善、1911年)などを発表しました。
【参考文献】大場秀章『早田文藏』(行政院農業委員會林業試驗所、2017年)120–121頁。

 

【質問(4)】スライドP20のナガバノモウセンゴケはどこで採取したものか、本州では尾瀬にのみ生息していると聞いている。また、ナガバノモウセンゴケに注目した理由はあるのか。
【回答】第一高等学校の二年生だった1898年、八田吉平と旅行した際に尾瀬で採集したそうです。ナガバノモウセンゴケに限らず、珍しいと思った種は採集していたようで、のちに『植物学雑誌』で報告しています。
【参考文献】早田文藏「南會津竝ニ其ノ附近ノ植物」『植物学雑誌』17巻191号(1903年)8–9頁。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/17/191/17_8/_article/-char/ja

 

【質問(5)】早田の植物研究は純粋に学問的探究だったのか、それとも国家への奉仕など国家にとって有用な植物を発見しようという気持ちもあったのか。
【回答】おそらく、どちらもあったとは思いますが、前者の方がずっと強い気持ちであっただろうと思います。早田には、植物学上の発見を自ら応用につなげていこうという積極的な姿勢はあまりみられません。植民地の植物調査が大きな利益をもたらすと主張する記事を書いたことはありますが、これは植物学研究への支援を呼びかけることが主眼であったようにみえます。また、東洋の学者、日本の学者としての自負もあったようですが、それも学問という土俵の上で西洋の学者に張り合っていきたいという気持ちであって、国家に実益をもたらそうという意欲は弱かったようにみえます。
【参考文献】早田文藏「殖民地の富源と植物研究」『海外之日本』1巻3号(1911年)16–19頁。

 

【質問(6)】早田文蔵の独自学説は、現代でも異端なままですか。再評価や見直しはされていないでしょうか。
【回答】異端であることには変わりありませんが、特に動的分類系に関しては注目すべき思想だという評価がしばしばなされています。海外ではDu Rietzの総説論文(下記文献(1))が革命的だと評価したのをはじめとして、早くから肯定的な評価がなされていました。国内では田村道夫の論文(下記文献(2))が皮切りだったといえるでしょう。近年では三中信宏が積極的な再評価を展開しています(下記文献(3)~(5))。
【参考文献】
(1) G. Einar Du Rietz, “The Fundamental Units of Biological Taxonomy,” Svensk Botanisk Tidskrift 24 (1930): 333–428.
(2) 田村道夫「早田文藏――その生涯と分類原理」『生物科学』5巻1号(1953年)29–33頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/11201343/1/16
(3) 三中信宏『系統樹思考の世界――すべてはツリーとともに』(講談社、2006年)。
(4) 三中信宏『分類思考の世界――なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』(講談社、2009年)。
(5) 三中信宏『思考の体系学――分類と系統から見たダイアグラム論』(春秋社、2017年)。


当日講演会の様子

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