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所蔵品・資料の紹介

収蔵品の紹介

御神幸行列和紙人形
(ごしんこうぎょうれつわしにんぎょう)

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 毎年5月21日に行われる、青海神社例大祭の御神幸の行列。現在は母親が我が子を背負って歩くが、昔は美しい産着で着飾った大勢の稚児たちや乳母に背負われた姿が見事で、この祭りが「乳母祭り」とも呼ばれる所以である。
 行列は、加茂の上条と氏子の里を隈なく練り歩き、矢立のお旅所で祭祀を行った後、本宮へ帰って行く。
 製作者は、市内神明町の近藤キクさん。
近藤さんは6年がかりで、昭和52~57年頃の御神幸の様子を、忠実に和紙の人形で再現した。

加茂縞の機織機
(かもじまのはたおりき)

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加茂縞は、縞模様の木綿織物で江戸時代後期に農家が自家用に織り始めたことが起源とされている。
藍の成分による防虫効果と丈夫さから、主に農家の仕事着や夜具の生地として広く普及し、第2次世界大戦後もしばらくは、広く着用されてきた。
 縞の模様は織り元のオリジナルで、定型化した折柄はない。しかし、織り方に決まりがあり、縦糸の並べ方が決まっている。
 生産のピークは大正15年(1926)で、年間約86万反(1反は、約12m)を生産したという。販売経路は、県内はもちろん東北地方や関東の一部にも及んだ。
 現在では、加茂縞を使用したシャツや小物などが製品化され、市内の呉服店で売られている。

手加工時代の建具製造工具、建具

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工具(種類14種、名称68、数130点)
指物師(さしものし)の命から二番目といわれる、工夫改善された道具。必要な道具を、職人が作った。

建具
1820年頃よりつくられ、1850年頃より北海道初め各地に「越後障子」の名で売り出された。
展示品は明治から昭和までのもの。
現在でも市内に多数の建具屋がある。

土師器 (はじき)

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古墳時代前期約1700年前
石川遺跡(石川地内)から出土したものである。土師器は一般的には紋様がないといわれるが、これには何かを表す刻線がある。(弓を引く人間のように見えます)

ぜひ実物を見てみてください。

市の文化財

水源池遺跡出土土器
(すいげんちいせきしゅつどどき)

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水源池遺跡は、昭和30年(1955)8月の加茂市水源池のダム建設の際発見された、縄文時代中期の遺跡である。
 遺跡の出土地は2ヵ所で、1つは現第一ダムのほぼ中央の水面下で、もう1つは同ダムの上流部台地端である。前の地点からは、深鉢形土器、甕形土器、浅鉢土器などが出土し、また炉の一部も発見されている。また後の地点からは石棒や石斧・凹石などの他に甕形の土器片が出土している。
 水源池遺跡の出土遺物のうち、深鉢形土器の大きさは高さ38cm、口径30cm、底径15cmである。

漢方薬製薬器具
(かんぽうやくせいやくきぐ)

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江戸時代、加茂は漢方薬剤の集散地として知られていた。40人の薬種堀(現在の薬剤師)がいて、約100種類の薬を作り、江戸まで売り歩いた。(『後越薬泉』より)
 百味箪笥は、江戸時代に当時の漢方医や薬屋が、漢方薬を分類して入れておくために使った入れ物。
 これに似たもので、小型の御薬箪笥といって嫁入り道具として使われたらしく、家紋が入っているものもある。多くは桐でできており、薬の保管には最適な材質だった。(「エーザイ薬博物誌」より)
 この漢方薬製剤器具一式は、その名残を現代に留めている。

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