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加茂市の文化財 市指定 史跡

史跡

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名称

勅使手植の欅跡 (ちょくしてうえのけやきあと)

所有者

青海神社

指定年月日

昭和50年1月12日

年代

天文14年(1545)

 後奈良天皇は国家の平和と五穀の豊穣を祈願されるため、天文14年(1545)4月20日、勅使として勧脩寺(がじょうじ)大納言尚顕(なおあき)を越後国に派遣された。同月24日には青海神社にも勅使が参向(さんこう)して宣命(せんみょう)と祭文(さいもん)を奉納して越後国の平和安泰と豊作を祈願した。戦乱の世ではあったが神威の盛大さをしのばせるものがあった。
 青海神社の社頭には勅使が手植になった欅の巨木が老い朽ちながらも保存されていたが、昭和36年9月の室戸台風で倒れ、現在は二代目が成長しています。


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名称

明治天皇行在所跡 (めいじてんのうあんざいしょあと)

所有者

加茂市

指定年月日

昭和50年1月12日

年代

明治11年(1878)


名称

加茂山要害城砦跡 (かもやまようがいじょうさいあと)

所有者

阿部正二

指定年月日

昭和50年1月12日

年代

元亀元年(1570)

 加茂山の山域に要害山と呼ばれている砦跡がある。元亀元年(1570)、上杉氏の家臣早部甚甫守(はやべじんぼのかみ)が初めて砦を築いて以来、長尾加賀守、本庄備前守、宇佐美平六、栗山大学、和田清八、小田主膳、下越左京など8武将がこの城砦を根拠地としている。
 しかし、この砦も上杉景勝の会津移封にともなって毀損されたといわれる。空堀は昔のままの城砦の面影を伝え、近年までしばしば刀剣、薙刀などの武器や、鏡、陶器類、焼米などが掘り出されている。
 この要害山の麓に禅宗耕泰寺があって宇佐美平六との物語りを伝え、また、この付近には根小谷という地名があるが、これは当時の陣屋の名残りをとどめているものである。


名称

丸山遺跡 (まるやまいせき)

所有者

小出幸二、坂上良策

指定年月日

平成15年5月13日

年代

旧石器時代

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