芸能
名称
後面
所有者
市山七十之助
指定年月日
昭和56年8月11日
年代
享保元年(1716)~現在
後面は岩井かほ世の遺芸である。かほ世の子ミキは五泉屋を名乗る踊りの師匠で、この後面の踊りを伝えた。後面は享保元年(1716)の冬、市山助五郎が大阪の沢村座で踊ったのが最初である。その後、享保11年(1726)11月に嵐三五郎が江戸の市村座で、享保17年(1732)正月に佐渡島長五郎が江戸の中村座で上演している。
宝暦12年(1762)には二代瀬川菊之丞が江戸の中村座で回り舞台を使ってこれを踊り好評を博した。
後面は明治の初めまで上演されている。この踊りの服装は白の着物に腰から下は黒の細幅の布を一枚おきに垂らしている。頭に白布をかぶり、後頭部に狐の面をつけ左手に鉦、右手に槌を持つ。
表の白蔵主姿のときは鉦を打ち、裏の狐のときは杖を持ち、表裏一体一人二役で踊り分ける変化踊りである。
歌は長歌で「一念他生無量業、仏の誓い有難や浅ましや、我ながらたまたま娑婆に生まれてきて、人を偽ることをのみ、うきわざとする畜生の~」から始まり、「姿みまごう草かくれ」で終わる。音曲に使う楽器は、初めは三味線と大小の鼓だけであった。この変化舞曲は全国で加茂市だけに残っている。