考古資料
名称
青海神社境内経塚出土品 (あおみじんじゃけいだいきょうづかしゅつどひん)
(宝暦7年および昭和15年出土品、計5点)
所有者
青海神社
指定年月日
昭和37年3月29日
年代
平安後期(宝暦7年出土品には治承2年の銘あり)
銅製経筒と銅製壺 宝暦7年(1757)、新発田藩主溝口直温(なおあつ)の命によって賀茂神社を御再建することになった。社殿の敷地を整備するために木を伐り山を開削していたとき、杉の大木の根方に畳石の囲みが埋められていて、その中から銅製経筒と銅製壺が出土した。
経筒には「倉持宗吉、菅原氏、治承2年6月24日」と銘が刻まれてた太刀数口と赤銅のこうがい1枚も出土している。
菅原氏倉持宗吉が奉納したこの経筒は、当時、江戸でもその価値が高く評価され、寛政年中には松平定信が谷文晁にこれを模写させていることが、その著「集古十種」の銅器の部に収載されている。
明治11年9月11日、北越御巡幸の際、青海神社神主宅に宿泊した右大臣岩倉具視の指示により、社司古川良策はこれを三条安在所に持参して乙夜(いつや)の覧に供した。この経筒は昭和13年3月、銅製壺とともに国の重要美術品に指定されている。
彫刻
名称
木造大日如来座像 (もくぞうだいにちにょらいざぞう)
所有者
地蔵院
指定年月日
平成7年3月28日
年代
平安前半期
名称
木造元三大師坐像(1) (もくぞうがんさんだいしざぞう)
所有者
雙璧寺
指定年月日
平成20年3月25日
年代
鎌倉後期
若宮町の曹洞宗双璧寺に元三大師の像が本堂の奥に鎮座されている。
この木像は研究者によると鎌倉時代の後期の仏師康円の作と見られるという。
元三大師は18世紀天台宗の大僧正慈慧大師の俗称である。大師は正月3日に入寂したので元三大師といわれたのである。
災厄を払うため夜叉と言い、その姿を鏡にうつして「我が映像をおく所必ず悪鬼悪疫なし」と言って災禍を払うと申していた。
この木像はつのをつけ、肋骨をあらわにし、眼は右上をにらみ、右手に剣を持ち膝を立てて悪鬼を退散させる形相をしている。力強い作風は貴重な文化財である。
名称
木造阿弥陀如来立像(1) (もくぞうあみだにょらいりつぞう)
所有者
西光寺
指定年月日
平成20年3月25日
年代
鎌倉後期