市指定

 歴史資料

名 称 版木(15点) (はんぎ)

所有者 斎藤務

指定年月日 平成2年5月15日

年 代 江戸後期


モハ1、モハ61

名 称 鉄道車両(モハ1)1両 (右側)

所有者 加茂市
指定年月日 平成13年3月27日
年 代 大正12年(1923)

名 称 鉄道車両(モハ61)1両 左側)
所有者 加茂市
指定年月日 平成13年4月12日

年 代 昭和15年(1940)

県内最古の木造電車 モハ1号

 蒲原鉄道は大正12年10月20日に五泉〜村松間4.2kmの運行を開始し、昭和5年7月22日には村松〜東加茂間15.2kmを開通、昭和5年10月20日には東加茂〜加茂間2.5kmを開通し、全線で21.9kmになります。その後、昭和60年3月31日をもって加茂〜村松間17.7kmを廃止、平成11年10月3日には五泉〜村松間4.2kmを廃止し、77年間続いた鉄道の使命を終えました。
 日本の鉄道車両は、大正末期から昭和初期にかけて、ようやく木製から半鋼製に代わってきました。ここに展示するモハ1号は大正12年蒲田車両製造のもので、誕生してからわずか4年後に半鋼製時代を迎えます。
 当初は五泉〜村松間、その後昭和5年から昭和29年まで五泉〜加茂間で運行され地域発展につくしました。
形式:モハ1
全長:11.455m 全幅:2.692m 高さ:4.064m
定員:66人 自重:20.03t


半鋼製電動客車 モハ61号

 この電車は昭和15年に日本鉄道自動車(株)が武蔵野鉄道の半鋼製制御車として製造したもので、昭和初期の私鉄向きの標準型電車です。昭和33年1月に蒲原鉄道に譲渡する前に電動車に改造されました。
 昭和33年から昭和60年に村松〜加茂間が廃止されるまでと、その後平成11年に五泉〜村松間が廃止されるまで運行され、「モハ1号」とともに地域発展につくしました。
 この種類の電車は、昭和11年頃から16年頃にかけて多数製造されましたが、比較的新しい時代の製造のためか、製造以来60年を経過した現在、保存車両は全国的に見てもかなり数が少なくなっています。

形式:モハ61
全長:17.000m 全幅:2.725m 高さ:4.110m
定員:110人 自重:27.45t


森田千庵 森田千庵名 称 森田千庵資料(9点) (もりたせんあんしりょう)

所有者 加茂市教育委員会

指定年月日 平成15年5月13日

年 代 江戸後期

 森田千庵は加茂の漢方の名医・森田甫三の二男として、寛政10年(1798)10月、加茂で生まれた。幼名を太仲と言い、長じて徳盛、または盛久と名乗った。千庵は彼の通称である。父、甫三は若いころに幕府本丸奥医師・岡甫庵に師事して医学を学び、甫庵の子岡寿庵と親交が厚かったので、千庵は14歳のときに上京して岡寿庵の門に入り、後に宇田川泰斎とその子、宇田川榕庵に学んだ。帰国後、父・甫三との親交があった京都の蘭医、藤林晋山を訪ねて西洋医学を学び、その後シーボルトを長崎に訪ねて師事すること2年、父の後を継いで加茂で開業した。彼の医学の名声は近郷に知られ多くの患者が訪れた。
 ”医は仁術”の精神に徹していた彼は治療代を請求しなかったことが多いという。
 蘭学の研究に熱心な千庵は長崎から蘭医学の書籍を買い求めていた。彼の蔵書中には、今までは手に入れることができない貴重な書籍もあった。
 医学の勉強のほかに和歌もたしなんでいた。安政4年(1857)、60歳でこの世を去ったが、彼の名蘭医としての足跡はいつまでも評価されるであろう。


銀田鴨背名 称 銀田鴨背遺稿集(33点) (ぎんだおうばいいこうしゅう)

所有者 加茂市教育委員会

指定年月日 平成15年5月13日

年 代 明治〜大正時代


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