市指定

 絵 画

古川茂陵画像名 称 古川茂陵画像(1幅) (ふるかわもりょうがぞう)

所有者 古川洸

指定年月日 昭和50年1月12日

年 代 不詳

 古川茂陵は加茂の大先覚者として不滅の業績を残し、京都にあっては勤王家として王事に奔走し、帰郷しては新発田藩の社講として藩学の振興に尽力した。
 茂陵は青海神社の神主古川之仲(ゆきなか)の長子で、諱は盛之(いみなはもりゆき)、通称を舎人(とねり)といった。明和3年(1766)25歳の時に江戸で、相州・小田原候の賓師関五華(ひんしせきごか)に3年間学び、その後京都に遊学し、神道管領吉田の学館で松岡雄淵(ゆうえん)から崎門朱子学(さきもんしゅしがく)を学んだ。
 京都における茂陵は勤皇家と交際を結び、しばしば大納言中山愛親(なるちか)、左近衛中将町尻量原(まちじりかずもと)などの邸に出入りしていたが、明和7年(1770)に郷里へ帰り先業を継いで青海神社の祠官(しかん)となった。
 安永6年(1777)、茂陵藩主溝口直養(なおやす)が新たに講堂を造営したとき、命によって「講堂之記」を作り、講堂再建の意義と、勉学の必要性を説いた。安永8年、藩主臨席のもとに論語の講義をして好評を得た。
 町年寄浅野七太夫の宅側に学塾を開いて近郷の子弟の教育にあたるなど、もっぱら士民教化の振興に尽力した功労により、藩主より年々米2俵を賜った。文化5年(1808)7月15日、66歳で意義ある生涯を閉じた。


絹本著色両界曼荼羅名 称 絹本著色両界曼荼羅(2棟) (けんぽんちゃくしょくりょうかいまんだら)

所有者 金泉寺

指定年月日 平成13年3月27日

年 代 鎌倉後期〜南北朝


若宮八幡宮格天井画名 称 若宮八幡宮格天井画(45面) (わかみやはちまんぐうごうてんじょうが)

所有者 若宮八幡宮

指定年月日 平成15年5月13日

年 代 主屋:江戸時代後期


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